初対面の人と会い、意気投合しようものなら聞かれる地獄の言葉
「インスタやってます?」
やってると思う?この俺が?ファッションに1mmの興味のないこの坊主の俺が??休日にパンケーキの写真とか上げてると思う??
若い人などはたまにTikTokなるものを聞いてくる。。。
やってると思う?この俺が?気の合う友達と縄跳びダンス踊っていると思う?
そして、やってないんですよ~、からなんやかんやで妥協点を見つける。そうFacebookだ。もはや中年のSNSと呼ばれたりもするFacebook。8年程更新していない埃被ったアカウントを「私はあなたのことを拒絶していませんよ」という証として伝える。そして友達として登録される。
なんだかんだで意気投合している分、少し気になる。相手がどのような写真を上げているのか。学校で何を専攻したのか。そして、どんな人生を送ってきたのか。。。
そこで、ハッとする。
眩しい。あまりにも眩しすぎる。眩しすぎて偉大なる作曲家、佐村河内守並に失明するのではないかと言わんばかりの眩しさに目ばかりか心を貫かれる。
そんな人を「比較する」という原罪により苦しめる3種類の人間といえば
①元気な人
②有能な人
③幸せな人
そして、これらの要素は運が悪いことに結構被る。あまりにもおおい、元気いっぱいにその才能を惜しみなく発揮し、幸せという通貨をザクザク稼ぐFacebookマフィア達よ。
彼らは何も悪くない。その無垢な「休日に遊んでいた友達がたまたま社長で、会社のビジョンに共感し自分のスキルセットが生かせると思って転職しました!美人でおいしい料理を作る元モデルでDカップの妻も応援してくれているので、今週末はMBAを取るため語学の勉強をしてホノルルマラソンを走りながら三ツ星レストランで豪華ディナーを堪能します☆」という投稿が多くの人の心を切り刻んでいることに気づいていない。
心の奥底で防衛本能のスイッチが静かに入る。「俺だって、少しは人に羨まれるような生活をしているんだ。ほら毎日楽しいじゃないか、Netflix観たり、、、散歩したり、、、、、身長高い、、、、、」
もうやめて!ルーシーのライフはゼロよ!!!!
自分のイキリも所詮、ムツゴロウが「人間と違って、泥の中で暮らせるぜ!」という「で?」以外の感想を抱かせないものだと気づくのにそう時間はかからない。
Facebookなんか、、、Facebookなんか、、、、
【次週、ルーシー TikTokを始める】
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