目標をアンジャッシュ渡部並に下方修正し、ブログタイトル変更

未分類

僕はどこかで、人々を「啓発」することができるなどと思い込んでいた。

以前のブログのタイトルは「ルーシーの保健室」

誰がこんな保健室に来るのだろうか。美人の保健室の先生がいるわけでもない。怪我を手当てしてもらおうと保健室にやってくれば、ただただ聞かされる愚痴。「いやー、世の中辛いよね。」

そんな有益性のない話を読みに来るやつがどこにいるのか。少なくともそんな奴は、文字を読まないし読めない。YouTubeやTikTokで切り抜き動画をエンドレスに見続ける俺みたいな情報弱者は、息するだけで溜まる疲労を簡単にいやせるジャンクフードのような情報に浸かるしかない。

そんな中、こんな自分にも目標ができた。
「無敵の人にならない」ということ。

働くとか、社会貢献をするとか、結婚だとかそんなものは、遥か雲の上の一般人という名の天上人のみがあやかれる甘すぎる果実。
正直、外でのうのうと生活している、一般人なんてこちらからしたら生まれたときからモノが違う。

最近は「もしかしたら、幸せになれるかも」と、淡い期待を抱くこともなくなった。躁鬱の躁がなくなっていると言えば聞こえがいいかもしれないが、実態としてはただそこに鬱があるだけである。

しかし、これもないものねだりなのかもしれない。日本という国ガチャに恵まれた事実をガリガリの、右足がないナイジェリア人に指摘されれば、「こんな幸運をものにできなくて申し訳ない」と涙するまでである。

極端にエネルギー値が低い。犯罪をやってまで生きていこうみたいなガッツもない。ただ、それでいいのかもしれない。そんな、部屋の過度にためる綿埃のように軽い人生観を肯定するためにたてた目標が「無敵の人にならない」

きっと死んだおじいちゃんも俺の頭をなでながら言ってくれてたであろう
「地下鉄で無差別に人々を殺傷しなくて偉いね」


今朝、奇跡的に朝早く起きれたため、実家の子供部屋から出て新聞をポストからとりだしリビングのテーブルに置いた。ゴールデンレトリーバーでもできることくらいが親孝行としては自分の限界値だ。

ふと、見出しの一文が見える。「救済新法成立」
これで宗教被害者も少しはマシになるのだろう。
ああ、こういう社会の変え方もあるのかと憧憬の念を抱きそうになった。

いや、暴力はいけない。

そうして衝動を抑えようとしている私に1つの疑問が鈍器の如く頭を殴りつける。





「無敵の人にならない」ことが果たして本当にいいことなのだろうか。。。

コメント

タイトルとURLをコピーしました