最近とても大きな鬱が来ました。それはそれは大きく二度と戻ってこれないのではないかと思うほどのもので、この時色々なことを考え生活を一変しようとブログ、Youtubeを始めました。
理由としては3つあります。
1.若いと言えない年齢になったから
2.人生の大半を諦めたから
3.体調が良い部分しか愛せないから
1.年齢
詳しくは言いませんが、切りの良い年齢にもうすぐなりそうです(永遠の10歳)。もう令和となり、平成生まれとして「若いね、人生なんでもできるよ!」とか言われていたのは遠く昔のように感じられ、今では結構なおっさんです。今は白目で若者に「夢を持つことは大切だよ!」などと全く感情を込めずに言える自信があります。
切りのいい数字なんてなんの意味もないと今でも思ってます。
イチローの2000本安打目と1999本目ってなんか違う?
年収4000万超えたら値札見ない!って人やモノによるだろ?
私たちが出会って3周年記念!って俺たちが愛し合っていることが何よりも大切だろ?
本当にそう思っています。ただ、やはり実際その年齢に達すると一区切り感じてしまうものです。
あの孔子の名言で
- 15歳:志学(しがく)
- 30歳:而立(じりつ)
- 40歳:不惑(ふわく)
- 50歳:知命(ちめい)
- 60歳:耳順(じじゅん)
- 70歳:従心(じゅうしん)
とそれぞれの年齢で起こる精神性を表したものがあります。その意味で、今は天命をしり自分の使命を自覚したような感覚でいます。そういう意味でかなり身より心の方が老けこんでいるのかもしれません。
2.諦め
ここ数年でとても力を入れていたこととして、①プログラミング②英語③音楽があります。どれもあまり身になりませんでした。もちろん意味がなかったとは言いませんが、躁状態のときには
華麗なる通訳能力でG20における日本のプレゼンスを増し、英雄になり
テイラースイフトに楽曲提供をし、恋に落ち、失恋したあと自分に関する曲を書かれ
防衛省のプログラムに興味本位でハッキング
そんな人間になるのではないかと思っていました。犯罪も混ざっているのでそうならなくて本当に良かったね(^^♪
イケイケの時には1分1秒を無駄にせず、「全ての人に同じ24時間を与えるなんて、神様はどれだけ非効率的なんだ?」と神を冒涜したその一週間後に、一日のほとんどを寝て過ごすという、赤ん坊の生活をする自分に嫌気がさしてきました。
もしかして、成長期かな?
キラキラした夢で自分へのヘイトを溜めないためにも、今は真剣に鬱と向き合おうと思い今こうしてブログを書いています。
3.自己愛の欠如
「躁鬱、双極性障害は躁状態の自分を本当の自分と思いたがる」という傾向がありますが、まさにその通りで「本当の自分じゃない」と思っている鬱期は全く自分のことを愛せません。自分のことを愛するためには鬱期も本当の自分だと思う必要があります。
お腹はすくけど、食欲はなくとにかく食べるという行為が面倒な自分も
他にやることはないけど、とにかく風呂に入ることが面倒な自分も
このままだとホームレスだ、、、でもホームレスとしても底辺だろうなと不安に思う自分も
全て受け入れたい
友達も結婚も子供も全て諦めているが、自分自身は諦めたくない。かなり後ろ向きな理由の中にも少しは前を向いている自分がいそうです。
生きていることに特に意味なんてないと思います。
しかし、あなたが生きていることに感謝する人は現在、未来を問わず存在します。
そして、それが真実であろうがなかろうが、そう信じることに価値があるのです。
自殺するなら絶望しきって死にましょう。
まだ、あなたにはやれることがあります。
また、あなたとお会い出来ることを楽しみにしています。
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